:: 番外編 - アリアハン王都

もうひとつのルイーダ、王立図書館。


人々のありがとう

旅を終えて、何もかもが静かになったはず。おおさまも人々もみんな、ありがとうとは言ってくれた。母も祖父も、いつも通りの笑顔で迎えてくれた。だけど、自分の中の音だけは、いつまでたっても止まなかった。あの日々ではない、もっと小さくて深い問いのような音だった。

この世界って何だったんだろう… ? 私どこまで知ってたんだろう… ?

答えなんて出ないことはわかってた。だけど歩くのをやめたら、その問いすら消えてしまう気がしてた。
だからある日、ふと… 誰かが通ってきたという場所を思い出した。そう、あの図書館。

アリアハン王立図書館とは、アリアハン王都の外れにある、静かな建物。来てみたのは大きな理由があったわけじゃない。ただ、風の匂いに押されるように来ただけ… そして扉を開けてみた。

木々がギシギシときしむ音。古びた本のにおい。そして、光の瞬きが静かに棚の間を漂っていた。

誰かが、こっちを見てた気がするけど、いつものように目をそらさずに歩いてみた。この空間の空気を、懐かしむように。

ある 1冊の記録書の前で足を止めた。その表紙には、見覚えのあるタイトルが。

「うーん、"北方の高地における、集落の変移とモンスターの分布" … あのとき、旅の途中で通り過ぎた、雪の村の記録だ…」

ページを開くと、そこには誰かの書き込みがあった。細くて、端正な筆の跡。ところどころに "?" (疑問符) や "参照 : 4ページ目" となど、さまざまなものが付けくわえられていた。

「誰が、こんなにていねいに…… ?」

そう思ってたとき、背後から微かな声が。

「… その本は、あまり読まれないんです。」
「これ、あなたが書いたの ?」
「はい、記録官の見習いですから…」
「ふぅん…… そうなんだ。」

少し笑ったつもりだったが、相手は戸惑って目を伏せた。アレルはその反応が、少し懐かしく感じた。

「じゃあ教えて、ここに書いてないこともあなたは知ってるんでしょ ?」

その一言で、彼… 彼の名は、エリュ。


問いをくれる人

それからアレルは、週に 1度、時には 2度3度と、王立図書館へ通うようになった。あの日々の衣装もマントも、何も今は持ってない。手にするのは筆記用具とノートだけ。その姿を見かけても、その場にいる図書館利用者や職員たちはとくに騒がなかった。最初からそこにいる人のように、アレルは書棚に溶け込んでいった。

エリュは、最初のうち、彼女と話すたびに緊張していた。声は小さく、質問には答えるがそれ以上は話さなかった。けど、アレルは、そんな彼を責めたりしなかった。むしろその距離感がどこか心地よかった。

誰かと旅をして命を預け合い、言葉より多くを共有してきたからこそ、今は言葉に頼らない関係が、逆に安心できてた。

ある日、アレルがとある分厚い記録書を読みながら、ふと呟いた。

「ねえ、エリュ。魔物 (モンスター) って、倒すんじゃなかったかもしれないって、気付いたこと、ある… ?」
「はい。それ、ずっと考えてたんです。」
「ほんとに ?」
「はい。だって、記録では、魔物 (モンスター) は、実はその土地の守り神だったっていう例も各地にあります。」
「へぇ…… 知ってたんだ~ !」
「いえ、知ってるつもりの記録が多すぎるだけです」

その言葉に、アレルはしばらく黙った。そして、静かに笑った。

「エリュって、面倒な人だね♪」
「よく言われます」
「あたし、旅の中でわかったふりをしてたんだなって思ってたの。強くなることで全部解決できるみたいなって。でも、終わったら…… なんか違ってた、なにも終わってなかったし。」

エリュは、それには答えなかった。その代わりに 1冊の薄い手帳を渡した。彼が個人的に記録していた、各地の伝承や証言、図書館には置いてない未整理資料のメモ書きだった。
アレルはそれを手に取り、さらっと眺めてみた。

「わぁ ! ありがとう、こういうのを待ってた気がする。」

ページの隅には、小さな文字でこう書かれていた。

「記録とは、世界に向けての問いである。」

その日、アレルは初めてこの場所に通う理由が、勉強でも過去の整理でもなく、もう一度、旅を始めるためなんだと気づいた。歩かずに、こころを動かしながら。


失われた、扉。

この日、アレルは図書館の立ち入り制限に足を踏み入れた。許可を受けたわけじゃないけど、ただ、エリュがこっそりカギを開けてくれた。石造りの棚、煤けた本、読めない文字。そこには、世界の底に沈められた、知りすぎた記録があった。
アレルは、とある 1冊に目を止めた。表紙には古びた金の紋章。そして、中のページに…

『旅の扉 (旅人の扉) は、世界の裏側とつながっている』

旅の扉とは、アレルがかつて仲間たちと一緒に飛び込んだ、あの水たまり (笑) のような魔法陣。あれが、ただの転移魔法じゃないことを、この記録は示していた。

『地上と地下は鏡合わせのように存在する。地上の地面は地下の地面でもある。両者の空とは対立する存在。扉は魂の行き来に応じて開く。』

アレルは息をのんだ。

「ねえ、この本… いつの ?!」
「おそらく、500~530年前。アリアハン王国が、まだ光の民と呼ばれていた頃の記録です。」
「光の民…… ?」
「その時代では、世界は "二重構造" として理解していた痕跡があります。でも、当時の王が、地下の民との接触を禁じて、それ以降、この記録は封印されたようです。」

アレルは鳥肌が立った。旅の扉。あの不思議なワープ感覚。そこに映った、どこか逆さまの世界のような謎の光景。すべてが偶然ではなかった。

「…… じゃあ、私たちは旅の途中で、もうひとつの世界に触れてたってこと ?」
「はい、でも、記録が残ってない。だからこそ、あなたの体験が、今ここにある記録以上に貴重なんです。」

アレルは、本を抱きしめるようにして座った。過去と未来が交差して、言葉にならないほど、心が震えていた。

エリュ「僕は、この図書館の中でずっと答えを探してました。でも、あなたに出会ってから、問いの方が大事なんだって思えるようになったんです。」
アレル「それ、たぶん…… 正解… !」


窓の外を指さす人。

アレルが図書館に通うようになって半年が過ぎてた。
2人のやりとりは、相変わらずどこか静かで淡々としていたが、その中には確かな親しみと、こころの火種のようなものが育っていた。
エリュは本を読みアレルは問いかける、アレルは記録を書きエリュはそれを整理する、そんな日々。

ある日の午後、エリュは図書館の 3階の古い窓辺に立っていた。高い位置の狭い窓からは、王都の外れにある森が見える。そこから先は丘へと続いているけど。

アレルは、書棚のあいだから彼を見つけて、少し驚いた。

「そこ、あんたが立ってるの、初めて見た。」
「この窓からの景色、僕は、ずっと絵だと思ってたんです。」

「え… ?」
「ここから見える、外の景色が、あまりにも変わらなくて…… ただの背景みたいに思えてた。でも、あなたが来てから、それも旅の始まりかもしれないって思えて。」
「あたしが来たからって…… あんたの世界、変わっちゃったっ ?」
「いいえ、変わったのは僕じゃなくて、世界の見えかたです」

しばらく沈黙。エリュは小さな声ではっきりと続けた。

「…… アレルさん。もしよければ、今度、一緒に外に行きませんか ?」
「外に ? エリュが ??」
「…… 言わないでください。自分でも驚いてるんです。」
「で、どこへ ??」
「近くで構いません。森の端まででも、丘の上でも。この窓からじゃ見えない世界を、知ってみたくて。」

アレルは、笑わなかった。まっすぐ彼の目を見てた。

「いいよ。一緒に行こう。」


地下世界に似た、そら。

王立図書館の扉がぎぎーっと開く音が、いつもより少し大きく響いた。アレルとエリュが並んで外を歩くのは初めてだった。
王都の西にある丘を目指して、ゆっくりと街道を歩いていく。春の終わりで、草の香りが濃くなってきたころ。エリュは本を持ってこなかった。手ぶらで歩くことに最初は戸惑っていたけど。

「本の中じゃ見えないものを見に行くんでしょ ?」

丘の上にたどり着くと、王都が遠くに見下ろせた。その向こう側には、山と森。そしてまだ誰も知らない空白の地帯。

アレルはそこに座って、風に髪をなびかせながら、ふと、そらを見上げた。

「…… ねえ、エリュ… この空って、地下と似てるって思ったことない ?」
「地下…… 地底 ?」
「うん。旅の途中でね、旅人の扉 (※旅の扉) を抜けた先で、ソラがないところに行ったことがあるの。」
「それは…… 記録には、ありませんでした。」
「うん… あたしも、あれが本当だったのかは、いまもわかんない… でも、地面の下って、真っ暗なんかじゃなくって、ソラに似てるの。遠くて広くて静かで、どこか懐かしい。」

エリュはしばらく黙って、同じ空を見上げていた。
ふと、ぽつりと呟いた。

「地下世界。かつて、地上と地下の民が、かがみ合わせだったという記録が、断片的に残ってます。王立図書館の禁書庫に……」
「… ! 気になるよね ?!」

エリュは、ゆっくりと… そして、はっきりうなずいた。

「はい、あなたの記憶にしかない場所を、記録の中から見つけたい。」
「変わったね。」
「変えたのは、あなたです。」

その帰り道、エリュの目は、道の石や木の形を熱心に観察していた。初めて見る世界のディテールを、頭の中に刻みながら。


封じられた記録

翌日、エリュは図書館の地下に降りた。そこは一般職員も滅多に立ち入らない、閲覧不可という部屋。鉄の扉、重い空気、保管されたまま誰にも読まれていないものなど。彼は、アレルの言葉が頭から離れず、どうしても確かめたくなった。

鍵を借りる口実は簡単だった。何年も前から放置されていたこの部屋は、誰も注意を払わない。

彼は 1冊の古い書を見つけた。革製の表紙に、かすれたとある文字が刻まれていた。

『地と霧 (ちぎり) の追憶』

ページをめくると、そこには異様な記述が連なっている。

『われらの土地は、かつて空の下にも在らず、また地上にもあらず。2つの世界は魂をもって結ばれていた。ある時より、地上は自己を忘れて扉を閉ざした。』
『霧の底に沈む声が、今もわれらを呼ぶ。彼らは光を見ず、影を拒まず。だけど、同じ血を持つ。』

震える手でページをめくりながら、エリュは確信する。

「これは、ただの空想ではない…」

旅の扉の先にアレル (たち) が見た、あの不思議な空間の記録。
そしてこの書の最後には、こう記されていた。

『地と霧にのみこまれた者は、夢にて扉を見いだす。それは、帰還なのか、それとも始まりなのか。』

その夜、エリュは静かにアレルにこの記録を手渡した。アレルはページをめくり、途中で手を止めた。

「…… これってさ、あのとき見た光景と、すごく似てる。」
「あのとき、とは ?」
「ワープの途中。扉をくぐった瞬間、光と闇が反転して、私の影が消えて…… そこに、もうひとりの私がいた気がした。」

エリュは黙って聞いてた。目の奥に、淡い恐れと強い確信が宿ってた。

「これを外に出すことはできません。でも…… 僕たちなら、記録し直せる。」
「新しい記録 ?」
「はい。あなたが見たことや僕が知ったこと。今の言葉で残すんです。地上のために。」

アレルは少し迷ったあと、ゆっくりとうなずいた。

「じゃあ、新しい地図を描こう。まだ誰も見たことのない、裏の世界の地図。」


旅のあとに書く地図。

王立図書館の奥に、使われていない閲覧室があり、古い机がひとつ。アレルとエリュは、ノートとインクを持ち寄って、その部屋で新しい記録作業を始めた。
エリュが用意したのは、無地の羊皮紙と未使用の製本台帳。

「タイトルはどうしますか ?」
「"旅の扉の向こう" じゃ、説明にならないか~。」
「記録は "意味" ではなく "問い" を残すものです。」
「じゃあ "裏の世界地図" ってどう ?」

エリュは、それを見てうっすらと笑った。

「挑発的ですね。」
「でしょ ? あたしっぽいでしょ ?」

まず、書いたのは、アレルの記憶。

「旅人の扉 (旅の扉) を通過したときの感覚、ワープ中に見た風景、反転した空と影、同じ空間にいた自分ではない何かの存在」

エリュはそれをすべて聞き取り、ていねいに書き留める。ときに言葉に詰まるアレルを、質問で導きながら。

「その影が、消えたという瞬間、それは恐怖でしたか ?」
「…… うぅん… 逆。すごく落ち着いてたよ。むしろ、こっちの世界のほうが重たかったかもしれない…」
「…… もしかすると、あちらが本来の姿で、地上こそが歪みだったのかもしれません。」

アレルは、その言葉に震えるように笑った。

「やっぱり、あんたってヘンな人だよ。」
「ありがとうございます。」

「…… でも、なんか嬉しい。あたしが信じきれなかったものを、ちゃんとかたちにしようとしてくれる人がいるって」

作業は何日もかかった。アレルの記憶だけではなく、エリュが見つけた伝承や禁書庫の断片、過去の王家の禁忌文書、それらを重ね、2人は 分厚い 1冊の記録書を作り上げた。

それ自体は質素。すべて手書き。所々にアレルの慣れないお手製のイラスト入りで。

タイトルは「地の裏と影の記憶」

それは、地図には載っていない場所への案内書でもあった。言葉にはできない風景を、可能な限り言葉と絵にした書物であった。
エリュが最後のページにこう書き添えた。

「これは、地上の誰にも信じられないかもしれない。だけど、私たちは確かに "底" を見た。旅の終わりに辿り着いた、もうひとつの始まり。」

アレルが、そっとページを閉じる。

「これが、あたしの "最後の旅" でいいかも…」

エリュは静かにうなずいた。でも、その言葉が本当ではないことは、彼女自身がいちばん知ってた。


"距離" という言葉を知らない。

この記録書が完成した日。王立図書館を出て、両脇に樹木が並ぶ、王都の石畳を 2人並んで歩いていた。
エリュは言葉少なだった。 アレルも、黙って空を見上げていた。
どちらともなく、丘の上まで歩いた。

日が落ちていく。静かな風、鳥の影。

そして、アレルがぽつりと呟く。

「…… ねえ、エリュ。」
「はい。」
「あんた、どうしてあたしに話しかけてくれたの ?」
「…… それは、あなたが来る前の僕が、図書館の本棚と同じだったからです」
「え ?」
「ただ、そこに立っているだけで、誰にも開かれない、ただの存在だったから。でも、あなたは僕を開こうとした。それが…… うれしかったんです」

アレルは、目を伏せて笑う。

「そんなこと言われたの初めて。旅のときは、強いね ! とか、すごいね ! ばっかりだったのに…」
「それも、間違ってはいないと思います」
「でもさ、強いって言われるたびに、ほんと、どんどん弱くなってったんだよ、わたし。」

しばらく沈黙。風が草を揺らしていた。

エリュが、いつになく静かに、けれど真っ直ぐに言った。

「…… アレルさん、僕は。あなたに感謝してます。」

「……なに、それ急に」
「好きですっていう言葉を使うのが怖いから、遠い言い方で言いました。」

アレルは、一瞬言葉を失った。
でもすぐに、いつもの調子で肩をすくめる。

「それ…… ずるいよ♪」
「はい。でも本当です。」

ふたりは、もう何も言わず丘を下りた。ただ、アレルの手の先がほんの一瞬、エリュの袖に触れた気がした。距離という言葉をまだ知らない 2人の、とても小さな触れあいだった。

旅の終わりの続きは、誰にも見えない場所で息づいていく。いつか、誰かがまたその記録を手に取るときまで。


お し ま い !

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